企業と企業、人と人、生産者と社会など
さまざまな「おいしい」の襷をつなぐ日本アクセス。
働いている社員たちも、
それぞれの想いや個性をいかして襷をつないでいます。

QUESTION!

私がつないでいる襷

食の最前線に立ち「食の豊かさ」をつなぐ

日々の物流業務の中で、同じ分類の商品でも多種多様なメーカーの商品が得意先に納品されていると改めて感じています。一つでも多く商品を得意先に出荷し、消費者の方々が求める商品に触れる機会を増やしていくことで、日本アクセスから消費者の皆様へ「食の豊かさ」という襷をつないでいきたいです。

私が思い描く「未来の卸」の姿

消費者と密接に関わる食品業界は、トレンドが常に移り変わっています。三温度帯に強みを持ち、食品業界全体のトレンドを把握している日本アクセスだからこそ、食のトレンドの最前線に立ち続けることで、現在よりもさらに消費者に近い存在になっていくと思います。

物流

H.A.さん

東日本営業部門
神奈川支店神奈川物流センター

2025年入社

※取材当時

私がつないでいる襷

仲間とともに働く「面白さと覚悟」をつなぐ

入社以来、上司や先輩、そして得意先・取引先の方々から多くのことを学び、「日本アクセス”で働くことのやりがいや面白さ」を日々感じてきました。これまで受け継いできた「お客さま第一の精神と稼ぐ姿勢」「食の安心・安全を守る責任感」「日本アクセスで働く仲間の結束力」を、今度は自分自身が言葉や行動で次の世代へとつなぎ、仲間と共に成長しながら、食の未来を支える一員として挑戦を続けていきます。

私が思い描く「未来の卸」の姿

国内外を問わず、製造・配送・販売のすべてに価値を与え、ビジネスの可能性を無限に広げ、つなぎ、理念を胸に成長を続ける卸です。

営業(業務用)

T.T.さん

外食流通第1営業部
外食営業第2課 課長

2011年入社

※取材当時

私がつないでいる襷

紡がれてきた「信頼」を企業文化として未来につなぐ

企業がお客さまから信頼を得て事業を継続するためには、法務やコンプライアンスを主体的に学び、行動できる社員の育成が欠かせません。法務・リスクマネジメントに携わる身として、取引に潜むリスクや法律を分かりやすく伝える取り組みを進めています。企業文化とは長い時間をかけて醸成されるものです。こうした取り組みは、今の仲間だけでなく、これから日本アクセスに加わる皆さんにも受け継がれ、会社を支える力になると信じています。

私が思い描く「未来の卸」の姿

単なるモノの仲介役でははく、お客様に寄り添い、課題解決や価値創造を共に行う「ビジネスコンシェルジュ」のような存在です。データ分析や物流の最適化、変化する法令への対応を通してお客様をサポートし、『美味しいね』という笑顔につながる商品を、確実かつ安全に消費者へ届ける――そんな姿を目指しています。

法務

Y.A.さん

法務・リスクマネジメント部
部長

2001年入社

※取材当時

私がつないでいる襷

すべての食卓へ「おいしい」と想いと共につなぐ

営業として、商品提案だけでなくマーケティング部と連携しながらDX推進にも注力し、お得意先さまの売上の拡大・利益の確保・売場レイアウトの最適化を日々提案しています。今後もさまざまな「おいしい」を、つくり手の想いとともに生産者・メーカー・物流・お得意先さまと手を取り合いながら、確かな品質と心を込めてすべての食卓へ届け、未来へと受け継いでいきたいです。

私が思い描く「未来の卸」の姿

デジタル化やAIにより、需要予測や効率的なマッチング、物流の最適化など、データ分析による価値提案型の「卸」が食品業界においてもより一層、求められる存在になると思っています。

営業

K.T.さん

広域営業部門 広域チェーン第5営業部
営業第3課

2015年入社

※取材当時

私がつないでいる襷

食の流通を支える「使命」を次代へつなぐ

必要な商品を、必要な時に、必要な分だけ安全に届ける。これは卸売業の基本であり、日本アクセスが果たすべき大切な使命です。私はこの役割の一端を担い、食の流通を支える使命の襷を、次の世代へとつないでいきます。信頼性と継続性を備えた物流体制を築き、「安全・安心な食」を届け続けたいと考えています。

私が思い描く「未来の卸」の姿

私が思い描く「未来の卸」は、少子化やドライバー不足といった社会課題に対応しながら、持続可能で安定した物流を実現する姿です。デジタル化や自動化技術を活用し、これまで人の経験に頼っていた業務を標準化・効率化し、誰もが安心して運用できる仕組みを拡大させていくことで、日本アクセスは社会にとって欠かせない存在として、さらに重要な役割を担っていくと考えています。

物流企画

F.R.さん

西日本営業部門 物流推進部
汎用物流課

2021年入社

※取材当時